03年01月中旬の近況
  続・進化論争



03/01/11

 進化の説で「と」かどうかは、「その現象が起こりうるかどうかと、その現象は進化の主たる原動力かどうかを混同する」かどうかで見分けが付くと思います。ウィルス進化論だって、ウィルスが原因である遺伝子の水平移動が起きていることとウィルスが原因になった進化(変化)がある、ということまでは非常に真っ当な、学問としても現在研究が進められている(というよりは考慮に値する仮説)なわけですが、だからといって「キリンの首が長いのも人間の脳がでかいのもみんなウィルスのせい」という主張(中原とか佐川とか……)との間には暗くて深くて幅が広い川が流れているわけで。
 利己的な遺伝子だって、今までの考え方では説明できなかった部分を「利己的な遺伝子」という見方で読み解いた(個体に有利でなくとも増え続ける遺伝子がある、という事象を上手く説明できる)ドーキンスの説は、非常に真っ当かつ考慮に値するものなんですが、重要なのはそれがどの程度の遺伝子に見られる現象なのかということで、トランスポゾン(ゲノム中を動き、ときには増殖する遺伝子……つかDNAの配列)が利己的遺伝子で増えているからといって「男が浮気するのも足が長い男がもてるのもみんな利己的遺伝子のせいなのよ」という主張(竹内……)までとぶとそりゃー「と」でしょう。
 今西進化論だって、「種は変わるべきときに変わる」じゃあ学説をなしてないわけで(科学というのは検証可能な説でないと検証できない)、変わるメカニズムやらその現象が見られる証拠やらがないと駄目駄目ってことです(お弟子さんたちはウィルス進化論でメカニズムが説明できると主張したいようだけど、それが進化のメインドライヴである可能性が低い現状ではね、駄目でしょ)。そのあたりが腐ってもグールドで、断続平衡説はそれなりに見るべきものがあると(アンチ・グールドの最たる私ですら)思いますよ。それなりの証拠と仮説を、グールドは提供してますからね。

 というのが総統日記(01/10)への答えということで。
 あと「進化的な視点を鑑みない生物学は生物学じゃねえ」派の私としては、生物進化の話が生物IIに入ったのはショックでした>現場からの報告@みらい子さんの日記。集団遺伝学は、そもそも木村はおろかハーディ・ワインベルグの名前すら教科書になかった世代なんで、あきらめてます。でもなーとりあえずダーウィンとラマルクの名前があるだけでも大分違うと思うんですよ。それすらないとなると、もにょることさえせずに、無知の無知のまま生きていくことになりそうで……そんな奴らに生物倫理を語られるような時代に生きていたくないよー(って今すぐ氏ねってか)。

 ってゆーか生物を理解するには、それこそ物理(エントロピーのなんたるか)から化学(有機だけじゃなくて浸透圧とかイオンもあるから無機もな)から、形態学系統学発生学生化学遺伝学進化学etcetcの知識が必要で、それは目の前のゾウリムシ(真核生物・単細胞動物)1個体を理解するにもその全ての土台が必要なんだけど、高校生物ってその土台の基礎になる地盤をとりあえず建物が建つように平らにしておきしょ、必要なら自分で土台を持ってきて家を建ててね、ってなとこまで持ってゆくべきものでしょう。それなのに一番コアなとこにある(と私は信じている<これは個人的な信念なので人によって違うだろう)進化を生物IB(高校生物の中で共通な課程)から外すとは、……って数年前にも嘆いたよな……。
 そして来年(今年の4月)から生物IBで「進化」という言葉を使ってはいけない、という文部科学省通達を読んでさらにため息。貴様は文部科学省ではなくて、妄想仮学省だ!



03/01/12

 あー、えーと、総統はおいらの日記、06日と08日の分をお読みいただいてますでしょうか。
 読んだ上で、

もう一度明言しておくと、俺は「進化」は信じているけど学校で教えられた「進化論」(多分、「突然変異」と「自然淘汰」を柱にしたネオ・ダーウィニズム、かな?)は信じていないということで、勉強しなおしてもそれは変わらなかった、ってことですな。

 と言われると、おいらの文章のどの辺が判りにくかったのかorどの辺が納得いかなかったのか、小一時間問い詰めたい気持ちになります。

 高校で教わった「進化論」はとても不完全なものです。でも高校で教わった微分積分だって不完全なものでした。高校の化学なんて、電子は各々の殻(軌道)をとても行儀よくとんでましたしね。
 高校で教わった進化論がそのまんま全部正しいと思い込むのはとても危険です。高校で教わった重力加速度の公式がそのまま全てのケースに外挿出来ると思い込むのも危険です。そりゃそーですよね、高校なんてせいぜい3年、その間に理科だけでなく数学、英語、国語、社会、その他の教科に人間としての道徳も教えないといけないのですから、どの学問も完璧に出来るわけはありませんよね。
 だから高校の課程では最新の学説を紹介するというよりは寧ろそれを理解するのに必要な教養を身につけさせるべきだと思っていて、そういう意味では

「突然変異」と「自然淘汰」を柱にしたネオ・ダーウィニズム、かな?

 は基礎の基礎、一番根幹をなす部分です。無論それだけで全てが理解&説明できるわけではないのも事実ですが、進化の基礎を限られた時間で多くの人に教えるのには最適の部分だと思います。総統が信じなくても、それでも進化は起こってるんだというか、どう考えても突然変異と自然選択(淘汰)でしか説明できない事象が山のようにあるんですが。中立的な変異だって山のようにあるけど、やっぱ自然選択(淘汰)というのは中立進化に比べると強い(早い)ので、そいつが起こると中立であるという仮定からは明らかに有意にずれるので、判るんですよ。

 で、その上で

今はグールド(『ワンダフル・ライフ』は読んでいたがどんな人かは知らなかった。『個体発生と系統発生』とか他の著書の方が面白そう)とか今西錦司とか(他にも日本人の学者が沢山活躍していてビックリ)自分の考えに近い学者も居ることがわかったのが収穫で謎は謎のままって感じですか。

 グールドは突然変異や自然選択を否定なんてしてませんが何か。彼はダーウィニズム+中立説では進化は説明しきれないと主張しているのであって、ネオダーウィニズムそのものを批判しているのではないです。
今西錦司とか(他にも日本人の学者が沢山活躍していてビックリ)自分の考えに近い学者も

 って今西説は学説じゃねー。あんな検証不可能な、実証不可能な、メカニズムの仮説さえ立てていない仮説は、科学の仮説じゃないです。反証不可能な事象は科学の俎上にはあがりえませんから。日本人の学者というなら、木村とか太田朋子とか根井正利(以上敬称略順不同)とか、集団遺伝進化の系譜に山のように傑物がいるでしょうに、何故よりにもよって科学かどうかさえあやふやな今西!? はっきり言って現役の進化学者というなら、宮田とか五条掘とか田嶋とか田村とか斎藤とか(以上敬称略順不同)、世界トップレベルの学者のかなりの割合を日本人が占めてますぞ? なのに過去の人でしかも「と」の今西なのは何故??  いやまー反証不可能な説(神は存在するとか)を信じるのは個人の勝手なので、ご自由にどうぞとしかいえませんが。一つだけ言うならば、進化学は科学です。科学の手法文法にのっとり、科学的に研究が進められている「科学」です。

 それを

化石しか証拠がない進化論も「科学」として捕らえない方が自由っつーか、自然な気がしますな。

 と何の根拠もなく言われてしまうと、もう……。
 まず進化学の証拠は化石だけではありません。現存の生物自体がものすごい強力な証拠です。生物同士の類似性、痕跡器官、などなど、そしてわれわれ自身が持つDNAそのものが進化の生き証人であるのです。そしてそのDNAが記録している進化の過程を、今私たちは解析することが出来るようになり(PCRや自動塩基配列決定装置、さらにはコンピュータの発達などによる)、猛烈な勢いで証拠が蓄えられつつあるのです。
 進化学が科学でないと仰るなら、それなりの根拠をください。文部科学省は少なくとも進化を科学と認め予算を出してますので、その禄を食んでいる進化学者がいる以上、根拠がある「進化は科学じゃない」には反論せねばならないでしょうから。

 あとはほぼ余談。

学校で今ある学説をちゃんと教えないんだとしたらかなり憂慮すべき事態だよな。

 それは数学分野にこそ言うべきことなのでは。19世紀初頭で止まっているのでしたっけ>現在高校数学で教えている数学。数学ほど極端ではないと思いますが、(少なくとも)自然科学分野においては今ある学説を理解するにはそれなりに積み重ねられてきた過去の学説を理解しておく必要があるので、今ある学説を教えないのは問題ではないと思います。
 また
円周率を「3」で教えようとか台形の面積の公式なくすとか言い出す文部科学省はなんなんだか。

 の前者(3で計算していいよなら兎も角、無理数や超越数の概念をひっくるめて3.14…という数字を教えないこと)は憂慮すべきだと個人的に思うんだが、台形の面積の公式はいらないと。だってあれって補助線一本ひけばすむ話じゃないですか。補助線の引き方というか、必要なら分割する知恵をこそ教えるべきであって、公式は不必要でしょう(私も作れるけど覚えてないし)。補助線を引く知恵を教えないのは憂慮すべきですが。
そういえば「オッカムの剃刀」という言葉も初めて知った。「ダモクレスの剣」よりは知られてない言葉だと思うけど。

 意味はわかっていただけるかと思うんですが、ぐぐった結果は「オッカムの剃刀」351件、「ダモクレスの剣」381件でした。あんま有意な差ではないよーなきがします。

 ビッグバンとか月の話は他の方突っ込みお願いです。私は進化の話担当ということで



03/01/13

 多分落としどころというか、落ちるべきところは見えてきたと思うんですが、おいらと総統の進化論争。
 取り急ぎ一言。何を信じるのも結構です、が、科学には科学の文法というものがあり、科学の仮説は全てその上で厳密な検証を経ております。自然選択(淘汰)にせよ突然変異にせよその厳密な検証を経て生き残ってます。それを駄目と言うのなら、それなりの証拠が必要になります。駄目だと信じることと、科学の文法上で駄目だということは全くの別問題です。
 それと、これは「と」の方々によく見られる論法なのですが、「現在複数の学説が出ている」ということと、「ならばその学問は根底から揺らいでいる」というのはごっちゃにしないでください。前に言ったことを繰り返すと「その現象が起こりうるかどうかと、その現象は進化の主たる原動力かどうかを混同する」のはおかしい、ということです。
 正解といってもオールオアナッシングで正解があるわけではなく、そういう意味では万能に最も近い理論といえば進化学の中では自然選択と突然変異と中立説でしょう(中立説は前二つに劣るだろうという意見もあるでしょうが)。その証拠ならいくらでもあります。それだけでは完璧に説明は出来ないが、ほとんどの部分(個人的には100%、恐らく多くの人が納得できるあたりでも90%以上)は説明できます。その説を、「その説だけでは納得できない」と否定するのと「その説は納得できない」と否定するのは違うということは理解いただけますでしょうか。
 つーか神か宇宙人が地球生態系を作ったのだとしたら、私はそいつをバカだと思います。おろか過ぎです。やり直しを要求します(笑…それこそイリーガルエイリアンに出てきましたよね)。もう一つ間違いなく言えるとしたらそいつは昆虫オタクですね。あー昆虫だって地球の生命の進化の過程で出てきた、たかが動物の一つの門の、一つの綱に過ぎません。それを補佐する証拠は矢張り山のようにあります。山のようにとか、量的な話を誤魔化していた(これは異論もあるだろうので)あたりで総統は誤解されているようですが、桁が違います。

 ということで続きは「科学とは」からやったほうがいいのでしょうか。
 つか普通の日記も書きてーよー、はなまるうどん、不味いとか。



03/01/14

 ということで、いい加減長文ばかりで疲れてきている方も多いとは思いますが、まだまだ続きます進化の話。……すみません、はなまるうどんが駄目駄目で、どういううどんが讃岐うどんとして正しいのか、というかはなまるうどんごときを讃岐うどんと思い込むな東京人、という話はまた後日に。
 以下引用タグ(blockquote)で囲んだ文章は特に明記が無い限り総統の日記01/13からの引用です。引用順が相前後しておりますので、ご注意をば。元の文は総統の日記を確認してくださいませ。
 まずは「科学とは」。昨日も書いたとおり何を信じるのも人間の自由です。日本はありがたいことに信仰の自由(信じない自由も)を認めておりますので、それに関しては私が立ち入るべきことではないでしょう。いわしの頭を信じようとインコ森羅教を信じようと、それは自由です。
 無論科学を信じないのも自由です。が、それに対して「それでも地球は回っている」と言うこともまた、日本は言論の自由を認めている国ですので、自由ですよね?
 だから私は、科学とは「信じないこと」「疑うこと」であり、反証可能性と論理性を両輪に一つの学問体系を作ってゆくことである、と考えます(そしてこれは多くの科学者が賛同するところかと)。そういう意味で

科学者の方がしっかり生命の在り方を「科学」しようと努力してるのはわかりますし、それらの考え方は俺を納得させるのに充分な説得力を持っているのもわかります。

 というのはある意味当然のことかと。疑って疑って疑いつくして、それでも現在のところ現状と矛盾のない理論体系を築いているのですから。進化学の例をとれば、
数学と違って科学はまだまだ隙があるので隙は隙のままで無理矢理他人の「考え方」で埋めなくても良いかな、という感じですか。

 数学の話は他の方に譲りますが、総統が思っているような隙はありません。確かに隙はあると主張する方々もいますし、グールドのように新たな説(断続平衡説)がその隙に当てはまると主張する方々もいます。だが、きちんとした研究者の、誰一人として自然選択(淘汰)と突然変異と中立説で殆ど全ての事象が説明可能であり、これらの説は「科学的に正しい」し「進化における主たる原動力」であることを否定している人はいません。最初の日に最左翼と最右翼としてグールドとドーキンスを挙げましたが、二人とも互いの学説は批判しあっておりますが、それ以上に創造説その他のとな説は言下に切って捨てております。文献、そうですねグールドだと「ダーウィン以来」他のエッセイ、ドーキンスだと「ブラインド・ウォッチメイカー」「虹の解体」あたりを読むと二人のスタンスの違い、にもかかわらず科学の側に立つ二人から見た非科学的な説の遠さというのは判ると思います。つまりドーキンスとグールドの間にはとても長い距離があるのですが、それとは桁が違う、否質が違う距離がとな説との間にはあるのです。
 科学の仮説は
 という科学的な検証の俎上にあります。私があげた中では最も新しい中立説も既に数十"""年の執拗な科学者達からの疑いを全て合理的に否定し続けている、自然選択(淘汰)説なんて百年もの間の検証に耐え続けている、ということです。それだけの事実の積み重ね(というのはDNAデータベース、例えばDDBJなどのサイトに蓄積されている膨大なデータを見ていただければ判るでしょう。これだけの観測事実があって、なお自然選択・突然変異・中立説が進化の主たる原動力であることは否定されていないどころか、より強く確認されているのが現状ですから)。
 無論、これらは全て科学の仮説ですから、反証があれば即座に否定されます。でもそんなものどこにあるというんですか? 進化は自然選択だけで説明が出来ないから中立説が出来、自然選択+中立説だけでは説明できないから断続平衡説だとグールドは主張しています。でも自然選択+中立説が進化の主たる要因であることを否定している証拠はありますか、という話になるんです。今のところそれはまだ見つかってないんです。見つかるとしても今までの積み重ねその全てをひっくり返すだけの証拠ですから、質量共にとんでもない量でないといけません。ヒトのみならず主要な実験生物のゲノム計画が進行中でいくつかは完成している今、そんなとんでもない量のデータが出てくるということは、殆ど考慮しなくてよいことのように思えます(毎年一億円の宝くじが当たることを前提に人生設計するということを考慮しなくてよいように、それは杞憂というものに思えます)。
 それを理解していただけた上で、
ただ、俺は科学者ではないので世の中のすべてを「科学」でかたづけようとしたくない、といえばいいんでしょうかね。

 と仰るのは自由です。しかし科学がなければ幼児死亡率の高さと食糧生産量の低さで今の日本の人口は十分の一になるでしょうね。私は死ぬ九割に入る自信がありますので、世の中全て科学で片付けて美味しいもの食べてぬくぬくネットに浸っていられる方を選びますね。本だって読みたいし。
 科学で片付かないと信じるのは、重ねて言いますが自由です。ただし現状では科学以外にここまで成功した体系は存在しないのも事実です。科学の発展が無い限り増え続ける人口を支えることも、現在の裕福な(お金の話ではなくて豊富な食料や医療技術・情報量など)生活を支え続けることも出来ないでしょう。私は、少なくとも己の寿命が尽きるくらいまでは今のレベルの生活をしたいと思いますし、もしこの先妹が子供を産んだとして、その子供が抗生物質が手に入らないだのワクチンが手に入らないだのといっら理由であっけなく死に至るのは見たくないですし、出来ればその子供達にも面白い本を読んで自由を謳歌してもらいたいと思ってます。その為には現状の科学ではまだまだで(明らかに少子高齢化社会へ向っているのだから、より多くのノンヒューマン労働力の確保など、必要な技術は沢山ある筈)、科学の発展は必須。科学というのは必要な技術開発だけすればいいというものではなく、ある程度は基礎科学が存在しなければ(基礎を作らずに建物を建てるようなもので)なかなか進まないでしょうから、基礎研究も含めこれからの生活のために科学に予算をつぎ込むことは必要でしょう。科学で片付かないと信じる方々の一部かも知れませんが科学予算を削るべしと主張なされたりしますので、それに関しては私は上記のような反論をせざるを得ないです。
 その様な反論で信じていらっしゃる方を翻意させることは出来ないかもしれませんが、少なくとも今まで科学を意識されてなかった方に科学への不信感を植え付けることへの反論にはなると信じて。



 で、やや本論とはずれるかもしれませんが

最新の進化論を教えるという点についてはのださんに落ち度はなく成功してると思います。

 ……えーおりゃー最新の進化論なんか一度も紹介してませんぜ。あくまで確固とした学説、十年以上の検証に耐えてなお生き残っている学説、恐らく真っ当な研究者でそれらが進化の主たる原動力であることに異を唱える人はいないだろうものばかりです。中立説だって、私が生まれる前ですよ。
つーことで総統がもにょっている*4事項に関しては、現代主流の進化学者は誰も主張していないことなのです。そんなことで進化論が間違っているといわれても、双子のパラドックスを生み出すということは相対性理論は間違っているのだ、と言われるようなもので、もう一度基本的な科学啓蒙書を読み直しては、としか言いようがありません。
(拙日記01/06)
変異がなけりゃ変化はおきない。変化ってのがすなわち進化なわけで、ダーウィンだけじゃこんなに早い進化(35〜40億年で今の状況になる)は無理なのでは、というのがかなり疑問視されてました(1960年ごろまでは)。
 そこで登場したのが木村の中立説(余談だけどこの説の信奉者がドーキンス)。
(拙日記01/09)
だから高校の課程では最新の学説を紹介するというよりは寧ろそれを理解するのに必要な教養を身につけさせるべきだと思っていて、そういう意味では
「突然変異」と「自然淘汰」を柱にしたネオ・ダーウィニズム、かな?
 は基礎の基礎、一番根幹をなす部分です。無論それだけで全てが理解&説明できるわけではないのも事実ですが、進化の基礎を限られた時間で多くの人に教えるのには最適の部分だと思います
(拙日記01/12、斜体部分は総統日記より孫引用)
 と繰り返し主張していたつもりだったんですが、気付いていただけなかったようで。この際なので断言しときます。
 こんなことも誤読されてるよーじゃ、こっちにかなり重大な落ち度があったように思えてならないんですが(それもあって12日に総統においらの日記読めてますか質問をしたんですが……確かにだらだらと長い文章になっているので、読みにくいのは事実だと思うし)。

 で、進化の実例の話……は明日ということで、すみません、総統、一日に書ける文章には限界があるんです……。



03/01/15

 あ、日記に他のことが書けないのは単に私がシングルタスク人間なので、そのせいですので気にしないでください>総統。というか量が多すぎて、いまだだらだら13日の日記分と戦ってますし……とろいのか、単にオレがとろいだけなのか。hirayanさんの進化論を考えるにも反応したいんですが、脊髄反射できるレベルで無いので時間かかってます、すみません。
 …………人に理解してもらえる文章というのは難しいです。はふ。

 気を取り直して、進化は科学なのか、という話(予告と内容が異なるのはジャンプの伝統ということで)。

あとどこで「進化は科学じゃない」というふうになってしまったのかがわからないんですが(どこか書き方が悪かったのかな?)、俺はそうは思ってないです。(総統日記01/13)

 ということは日記01/11の
化石しか証拠がない進化論も「科学」として捕らえない方が自由っつーか、自然な気がしますな。

は(1)私の誤読であった(2)その後総統が転向した(ので撤回)(3)勇み足だった(4)その他、あたりでしょうか。なにはともあれ、進化学は科学です。でもって科学である以上、科学的な作業仮説(現在までの観測結果と無矛盾であること、反証可能であること、その仮説でしか説明できない事象が存在すること、もしくはその仮説から必然的に導かれる予言があること、そしてそれは検証可能であること)をたて、それを検証してゆく作業が研究であることは、進化だって同じです。ということで
特に進化論については実験による追試みたいのができない部分が大きいので事実と事実の紐付けは「考え方」に頼るしかなくてそこに限界を見たような気がするんですよ。

 確かにダイレクトに進化そのもの(それも多細胞動物の、ヒトなんて絶対に)を実験するわけには行きません。それは例えばビッグバンを実験で再現できないとか、電子は目に見えないのだから量子力学はまやかしだとかと同じロジックではありませんか?
 例えばもし自然選択(淘汰)しか働いていないとすると、選択(淘汰)圧がかかる部分しか進化しないはずです。翻ってみるに中立仮説においては生物の進化は選択圧がかかる部分ではなく、寧ろそれ以外の部分(選択が起きない部分)こそ進化しているはずです。このことは古典的にはタンパク質の配列で確認されました(みらい子さんがちょっと触れているタンパク質の話がそれだと思います)。タンパク質のアミノ酸配列というのは直接的にはRNAの配列によって(RNAの配列はDNA=遺伝子の配列をいわば部分コピーしたものです)決定されます。ある種のタンパク質(インシュリン)は、いったん形成されたアミノ酸配列の一部を切り取って捨てて、残りの部分だけがタンパク質(インシュリン)としての活性を持つようになります。
 中立仮説によればその切り取られて捨てられる部分には殆ど選択圧がかかってないので、他の活性を持つ部分には選択圧がかかっているのだから、前者の方が後者より進化速度が速いことが予言されました(またこれは選択圧を前提にしていますので、自然選択説も仮定した条件下で予言されています)。実際にヒトとマウスでタンパク質のアミノ酸配列を比較してみると、前者の(捨てられる部分=ほぼ中立な部分)アミノ酸配列の変化量が後者(=活性を持つ部分=自然選択圧がかかっている部分)より明らかに大きいことがわかりました。このことによって、中立仮説の予言は成就し、その正しさが確認されたわけです。他にもこのような例は山のように得られています。選択圧が高い、重要なタンパクであればあるほど進化速度が遅く、選択圧が低いいいかげんなタンパクほど進化速度が速い、特にメクラモグラ(だっけ?)のように目が退化してなくなってしまった生物の、クリスタリン(目の水晶体を構成するタンパク質)の進化速度はとても速くなっていることも確認できました。現在ではDNA配列レベルからこの傾向が確認され続けています。
 また、中立仮説から進化速度が突然変異率に比例すること、一定であること他が導かれましたが、これも実験レベルで確認されました。
 というように仮説の検証における厳密さは、おさおさ他の領域に劣るものではないと思われますがいかがでしょうか。
 さらに
(化石しか証拠がない、といったのはまずかったですが、現存生物から得られる情報と化石生物の情報って突き合わせしかできなくて遷移は観察できない、ということです)

 進化の速度はさまざまです。エイズウィルスの進化速度なんて、日単位で計測できるほどです。つまり我々の眼に見える時間内で進化が起きているのです。目の前で遷移(というと別の意味になるので変化と呼びたいですが)が起きているのです。そこまで極端ではなくても博物学のはじまりから100年、世代時間が短い生物の中には進化が記録に残されているものもいます。
 また化石(〜10万年のオーダーのもの)から得られたDNA配列を現在の生物と比較して進化を研究する分野もあります。これもなんら矛盾無く繋がっております。
 無論、仮説を立てるのは自由です。例えば100万年前に断絶があってそれ以前の化石はそれ以降の化石と異なる進化をしているんだ、とかね。でもそれが正しいと主張するにはまず100万年以上前に分岐した2種の生物のDNA配列を比較した結果に断絶が全く見られない(この例は1000や100000組は存在します、それら全てに断絶は無いのです)こと、化石記録上100万年前に断絶が見られないことを上手く説明した上で、100万年前に断絶があったと仮定しないと説明できない事象が存在する必要があります。ありますか? 今まで見つかっている事象を上手く説明できるというだけでは仮説には不十分です。だって、断絶など無いというより単純明快な仮説でも十分説明可能なのですから、オッカムの剃刀によって否定されるのが落ちです。

 ということで続きはまた明日。



03/01/16

 前略進化の話。
 ということで自然選択(淘汰)と中立説の正しさは既に確認されております。この辺の話は繰り返しやったつもりだった

 通常、ダーウィンの進化論とか、ダーウィニズムと呼んだときの肝となるのは「生物は次の世代に今の世代より多くの子孫を残す」ゆえに「生物の個体数は増加するが、環境が受容可能な個体数は有限であるので、いつしか限界に達し競争が起こる」ということだと思います。その必然的に起こる競争ゆえに集団の中で最も環境に適応したもの(最適者)が生き残る、というものです。その結果生き残った個体(=環境に適応した個体)が子孫を残し、その子孫は親からその環境に適応した形質を受け継ぐ可能性が高いので世代を重ねるごとに適応した形質を持った個体が増えてゆき、遂には集団全体にいきわたる、というあたりを否定するのは困難ではないでしょうか。
  困難というのは、ダーウィニズム的な進化(最適者生存)で説明可能な事実が幾つも見つかっていること、人為的に環境を整えてやる(というか人為的に選択を行う)ことで確かに今現在進化が起きているということ、などダーウィン的進化論を裏付ける検証結果が幾つもあるのに、ダーウィン的進化論を否定できるような事実は殆どない(ダーウィン進化論だけでは説明が出来ない事象は幾つもあるけど、それは亜光速で動く物体の振る舞いがニュートン力学で説明できないからといってニュートン力学は否定できないように、ダーウィンを否定はしない)。(拙日記01/08)

 なにせ中立な変異は数が多いです。生き残るものは少数(生き残る確率は、集団の大きさをnとすると2n分の1)とはいえ、母数が大きいわけですから相当な数が生き残っちゃいます(起こる突然変異の数はほぼ2n×突然変異率、生き残る確率2n分の1を掛けるので突然変異率=生き残る中立な変異の数=進化速度、ということになります)。
 つまり実際にはダーウィン的っつーよりはむしろ「てきとーに変異が起こる」「てきとーに生き残った奴が子孫を残す」、てきとーな(確率論的な)進化が支配的であるのです。(拙日記01/09)

「突然変異」と「自然淘汰」を柱にしたネオ・ダーウィニズム、かな?
 は基礎の基礎、一番根幹をなす部分です。無論それだけで全てが理解&説明できるわけではないのも事実ですが、進化の基礎を限られた時間で多くの人に教えるのには最適の部分だと思います。総統が信じなくても、それでも進化は起こってるんだというか、どう考えても突然変異と自然選択(淘汰)でしか説明できない事象が山のようにあるんですが。中立的な変異だって山のようにあるけど、やっぱ自然選択(淘汰)というのは中立進化に比べると強い(早い)ので、そいつが起こると中立であるという仮定からは明らかに有意にずれるので、判るんですよ(拙日記01/12)

 のに、
で、その俺世界で化石の時代と今の時代の生態系がうまく結びついていないっつーだけなんです。「突然変異」と「自然淘汰」じゃ俺的には駄目なんですわ(ここが問題なのかな?ここに対する不信感が今もあるっつーのが)。

 と言われて正直凹んでいたんですが、昨日の日記の説明ではお分かりいただけましたでしょうか?

偉い学者さんたちの色々な考え方がある=まだ正解は見つかってないんじゃないの?

 それは無論その通りです、科学的に厳密には正解が見つかってないという意味では。しかし私が繰り返し書いてきた様に……例えば
 とりあえず総統へは、グールド(ニワトリの歯とか、てきとーにハヤカワNFでどぞ)とドーキンス(ブラインドウォッチメイカーとか、今なら虹の解体もいいかも)両方読む、というのをお勧めします。二人とも恐らくは進化学者のなかの最右翼と最左翼にあたる立場でものを言ってますので、現代進化学がどれだけふらついているのかが如実に判ると思います。ふらついてはいても、どこまで確固としているかも(拙日記01/08)

 グールドは突然変異や自然選択を否定なんてしてませんが何か。彼はダーウィニズム+中立説では進化は説明しきれないと主張しているのであって、ネオダーウィニズムそのものを批判しているのではないです(拙日記01/12)

という風に、誰も自然選択(淘汰)と中立説を科学的な意味では否定していないです。
 困難というのは、ダーウィニズム的な進化(最適者生存)で説明可能な事実が幾つも見つかっていること、人為的に環境を整えてやる(というか人為的に選択を行う)ことで確かに今現在進化が起きているということ、などダーウィン的進化論を裏付ける検証結果が幾つもあるのに、ダーウィン的進化論を否定できるような事実は殆どない(ダーウィン進化論だけでは説明が出来ない事象は幾つもあるけど、それは亜光速で動く物体の振る舞いがニュートン力学で説明できないからといってニュートン力学は否定できないように、ダーウィンを否定はしない)。(拙日記01/08)

はまた中立説について言えます。つまり今現在学者達が意見を戦わせあっているのは、中立説+自然選択(淘汰)で説明できない部分があるのか、あるとすればそれを説明できるメカニズムは何か、という、言わば枝葉末節(だけど十分重要な)のところなのです。今唱えられている説の一つとして中立説に匹敵しうる重大な説になるものはないだろう、といえばレベルが違うというのは判って頂けますでしょうか。ってゆーかオレ、その辺の学説については(はっきり言って話を単純化する目的もあって)
ウィルス進化論だって、ウィルスが原因である遺伝子の水平移動が起きていることとウィルスが原因になった進化(変化)がある、ということまでは非常に真っ当な、学問としても現在研究が進められている(というよりは考慮に値する仮説)なわけですが、だからといって「キリンの首が長いのも人間の脳がでかいのもみんなウィルスのせい」という主張(中原とか佐川とか……)との間には暗くて深くて幅が広い川が流れているわけで。
 利己的な遺伝子だって、今までの考え方では説明できなかった部分を「利己的な遺伝子」という見方で読み解いた(個体に有利でなくとも増え続ける遺伝子がある、という事象を上手く説明できる)ドーキンスの説は、非常に真っ当かつ考慮に値するものなんですが、重要なのはそれがどの程度の遺伝子に見られる現象なのかということで、トランスポゾン(ゲノム中を動き、ときには増殖する遺伝子……つかDNAの配列)が利己的遺伝子で増えているからといって「男が浮気するのも足が長い男がもてるのもみんな利己的遺伝子のせいなのよ」という主張(竹内……)までとぶとそりゃー「と」でしょう。(拙日記01/11)

とか、かなりけちょんけちょんにけなす以外には殆ど例を引いてなかったと思うんですが(総統に必要なのはます基本だと思われたので、基本の解説に腐心していたつもりだった……無論総統の質問に答える仮定で断続平衡説とかは出てきてしまったけどね)。
 ということで科学における正しさには段階があって、自然選択(淘汰)説と中立説の正しさはとても確固たるものである、ということです。
ならば、それらの考え方の一つ一つは尊重して俺は俺の考え方を持っていてもいいのかな、と思ったわけです(学者と俺が同列ってのはおこがましいですが)。

 もちろんかまいませんとも、信じているだけなら、いわしの頭が進化の原因だって信じていてもかまいません。信じているだけならね。でも進化は科学なんです。科学である以上、既に正しいと目されている学説(この場合自然選択説と中立説ですね)と、新しい学説は矛盾してはいけませんし、矛盾するならそれなりの証拠が必要というだけです。自然選択と中立説を否定するには、……そうですね、両方の説と明らかに矛盾するDNAデータの一万組もあればいいでしょう<何故数が必要かというと、DNAに起こる変異は確率的にばらつくので、これだけのデータが集まっている現在、一組くらいおかしいデータがあってもそれは確率的揺らぎでも説明できてしまうからです。そして、提唱された新しい説が自然選択と中立説と確率揺らぎ以上に簡潔かつ現在のデータ全てを説明可能な仮説であればそれは尊重されるべき仮説になるでしょう。そういうことです。そうでない仮説を「これはあなた方の仮説と同じように尊重されるべきだ」と証拠もなしに主張したらそれは「と」として排斥されるだけでしょうね。だって進化は科学なんですから。  もし、その仮説が上記のような条件、自然選択と中立説以上に簡潔かつ現在のデータ全てを説明可能な仮説でかつ反証可能で、しかもその仮説が予言したことが裏付けられたりしたら、それは勿論、(科学的検証のあとに)正しい仮説として今まで自然選択説と中立説が占めていた位置を占めるようになることでしょう。科学は(そういう意味では)度量が広いですから。でもそんな仮説は今まで唱えられていないだけのことです。
 でももしそういう仮説を考え付くとして、今までのデータが説明可能でなければならないので、いずれにせよ進化学の基本は正しく理解してないと、おかしなことになりますよね。理解してなくて「中立説は間違っている!」と言うのは(日本では言論の自由が認められていますから)自由ですが、批判されたほうからすると「とりあえず教科書読んできな」としか言いようが無いわけです。
で、「考え方」でいったら俺より頭がいい人が云ってることはどれを聞いても「納得」はしてしまうんですよ。もともと信じやすいタイプなんで。だから正解がない世界なら自分のスタンスを(たとえ間違いでも)持っていることが大切なのかなぁ、と思ったわけです。

 日本の格言で、「下手の考え休むに似たり」というのがありますね。それに総統が拘っているレベルでは「正解」は既に存在しているんです。ひっくり返すのがとても困難な仮説が。

じゃあなんで「突然変異」と「自然淘汰」を柱とした現在主流の進化論に「納得」いかないのかといわれると、のださんは「それでしか説明できないことが山のようにある」、といいますがそれで説明できないことも山のようにあるから諸説出てるんじゃないでしょうか?

 まず、「それでしか説明できないことがある」と「それで説明できないことがある」は論理学的に全く別の事象です。その仮説でしか説明できない事象があるということは、それ以外に仮説は無いのですから、それだけでその仮説が正しいという立派な証左になります。それで説明できないことにはまた別の仮説をたてればよいだけのことです。
 次に「山のように」という言葉が拙かったのでしょうか、現在主流の進化論(=突然変異に自然選択説と中立説)で説明できない(かもしれない)事象はそう多くはありません。私はゼロだと見積もっていますし、確かに私は最右翼ですが最左翼の人間が見積もったところで5割は決して超え得ないでしょう。大方が落ち着く数字としては、1割と言ったところではないでしょうか。
現在の生態系、というかいまの生物がどうして今の形態になったかの大多数が「突然変異」と「自然淘汰」で納得がいけば俺もこんなにゴネないんですが。それとも俺が知らないだけで大半がそれ(突然変異と自然淘汰)で説明出来てそれの撃ち漏らしを説明するために他の説がある、というのが現状なんでしょうか?

 突然変異と自然選択(淘汰)と中立説ですね。はあい、その通りです。
 まず、突然変異というのは、兎に角遺伝子の本体であるDNAが変化することです。色々な形のものがありますが、もっともポピュラーなものがDNAの塩基配列の1文字(1塩基対=1bp)が置き換わるものです。例えばもともとの配列がAAAだったものがAAGに変わる(この場合はA→G)のが突然変異です。他にもDNAの塩基配列の文字が脱落したり付け加わったり、繰り返しがあった場合そのリピート数が変わったり、或いはより大きな範囲でごっそり逆向きになったり(もともと12345と並んでいたのが14325と並び変わったりする)、位置が変わったり(12345が15234となる)、あるいはゲノム全体が倍加するなどとさまざまな変化がありますが、これらを大きくひっくるめて突然変異と称します。
 このうち最も数が多い1文字の置き換わりや1〜数文字の脱落(=欠失)付け加わり(=挿入)については、なにせ数が多いだけに十分な長さのDNA配列を種間あるいは同種でも個体間(同一個体内でも2つの対立遺伝子、一方は父方からきたものでもう一方は母方からきた遺伝子)で比較解析した結果、かなり研究が進んでおります。その結果、DNAが変化(=突然変異)する速度はほぼ一定であることが判ってます。DNA複製時のエラーに基づくものなので、複製酵素が異なるといささか上下する、また領域や配列と酵素の相性によっては変化することも知られています。然しながら同じDNA複製酵素を使っている生物群(例えば多細胞動物とか)では突然変異率は一定であるとみなせる程度の誤差となっています。
 つまりDNAに起こる変化を突然変異と総称するのです(実際には組み換えとかもあるけど、煩雑になるので省略)。このうち体細胞(多細胞生物の体を作る、生存に必要な細胞。配偶子およびそれを形成する母細胞以外の細胞)で起きた突然変異は、当然子孫には受け継がれることはありません。逆に言えば生殖細胞の系列で起きた突然変異は(勿論その突然変異を受け継いだ配偶子が偶々使われなかったり受精に成功しなかったりして失われる確率も高いのですが)、子孫に受け継がれます。生殖細胞の系列というのは発生のとても初期(胞胚期)に既に体細胞の系列から分岐し(始原生殖細胞となり)、独自に分裂して増えて配偶子の母細胞(ヒトの場合精母細胞と卵母細胞)になって、減数分裂(分裂前の母細胞と比較して分裂後の娘細胞のDNA量が半分になる分裂。相同染色体は必ず分かれて娘細胞=配偶子に入るので、娘細胞は各々の相同染色体の一方のみを有することになる。母細胞のゲノムは2nで娘細胞のそれはnである、とも言える)により配偶子を生じます。この配偶子同士の結合によって生まれた接合体(受精卵)が体細胞分裂(減数分裂ではない細胞分裂)で増えて個体を形成します。
 つまり配偶子に至る系列(生殖細胞系列)で起きた突然変異は、その後の細胞分裂時のDNA複製ではそのまま(突然変異を起こしたまま)コピーされ、子孫に受け継がれます。

 また突然変異以外の変化で確実に子孫に受け継がれる例は、多細胞動物では知られていません。細胞質遺伝というものがあるのですが、それすら結局のところはミトコンドリアや葉緑体(は動物にはないけど)の遺伝子(もDNAが本体であり、その変化は突然変異と呼ばれる)や、細胞質に共生している細菌(の遺伝子もまた同上)によって決定されているのであり、究極的には突然変異による変化があって、そしてそれが子孫に受け継がれて初めて進化に寄与しうるのです。
 つまり、はじめに突然変異ありき、なのです。生殖細胞系列で生じた突然変異が子孫に受け継がれて初めて、進化の第一歩となりうるのです。

 こうして突然変異が集団中に生じたとします。まず第一の関門は、その突然変異が形質に影響を与えるものかどうか、です。多細胞動物の場合、ゲノムの殆ど(9割)は意味がない領域である(ジャンクDNA)と言われています。そこに本当に意味はないのかといわれるとまだまだ謎(というよりは何らかの制限はあるらしいことが判明している)ですが、確かに遺伝子(=形質を支配する因子=タンパク質を作るコードを指定している領域)と遺伝子の隙間の塩基が1塩基違ったとしても、検出可能なほど形質に変化を与えることはまず(イレブンナインほど)ないです。或いはタンパク質を作るコードでも一部重複しているものがあり(複数のコードが同じタンパク質の材料=アミノ酸を指定している場合がある)、そういう重複コードから重複コードへの変化だった場合はタンパク質の変化としては現れてきません。こういった形質に影響を与えない突然変異は、その突然変異を受け継いだ個体の生存にとって有利でも不利でもありません。だから中立説に基づいて確率的に(ランダムに)更に子孫に受け継がれたりそこで消滅してしまったりします。ちなみにヒトのゲノムは約10の9乗塩基対あります。突然変異率は大体世代あたり10のマイナス9乗程度です。ゲノムの殆どは上に述べたように中立な領域であると考えられますので、例えば私個人の生殖細胞系列に中立な変異が起こる数を考えると、ゲノムあたりおよそ1個の(というより一桁程度の数)中立な突然変異が生じるということになりますね。先だって排卵した卵にも、何か中立な突然変異が起こっていた可能性は結構高いでしょう。
 また起こった突然変異が形質に影響を与えるものである場合、その形質への影響が生存と生殖に影響を与えるかどうかが第二の関門になります。形質に影響を与えるけど生存と生殖に影響はない場合(例えばビタミンC合成酵素が失活するとか)、その突然変異もまた中立ですので、中立説に従ってランダムに受け継がれたり受け継がれなかったりします。一昔以上前ならいざ知らず、今の日本だと髪の毛根でメラニン色素を合成する酵素(あるいはそこで合成するように決定する命令を出す遺伝子)に起こった突然変異で茶髪になったとしても生存上有利でも不利でもなさそうなので、これも中立な例ですね。
 突然変異が形質に影響を与え、あまつさえその影響が生存上不利な場合は、その突然変異は速やかに自然選択によって集団から取り除かれるでしょう。最後に突然変異が形質に影響を与え、影響が生存上有利な場合は、同じように自然選択によって集団に固定します。

 ここまでが進化の基本(+発生学の基本+遺伝学の基本、は高校生物でもやることで、高校生物でやらないのは中立説のとこくらい)です。ではここからどれだけの事象が説明可能か、という話はまた明日。



03/01/17

 おいらとてもとろくて不器用なので、総統が14日以後で何が判って何に納得して、13日時点で出された無数の質問のうちどれの答えはもう不要になっているのかがよく判りません。そもそもおいらの大量のべた打ちテキスト(いや一応HTMLで打ってはいるけどさ)のどのくらいを総統が読んでいるのかさえ定かではありません(例えば自然選択と自然淘汰とかの用語選択に総統が斟酌してないあたり、読み飛ばされているのかと感じないでもなかったり、ああでもそれは被害妄想だとは判ってはいるんですよ)。なにせ11日目に入って、毎日それなりの量のテキストをそれなりに脳味噌捻って生み出しているんで、疲れてきているんです。ってゆーか読めてますかねえオレの文章。誰にも届いてないんじゃないかと思って、だったら自分で楽しいこと書いてるほうが100倍もましだよなとか考えたり。答えても答えても果てないし、そうかと思うと総統が納得するロジックは理解できないし。
 とりあえず無骨に総統日記13日の分への回答と思われるものを縷々書き綴ってゆきます。まずは突然変異+自然選択(淘汰)+中立説で何が説明可能なのか、という話から。

 ってゆーか説明可能ってんなら全て説明可能です。だって、生物の形質は遺伝子が決定していて、その遺伝子に起こる変化を突然変異と呼ぶんですもの。その変化が個体→集団へ固定してゆく(あるいは集団から除去される)方法に自然選択(淘汰)と中立説がある、ってだけで、確かに全ての変異は生存に不利か有利かそのどちらでもない(=中立)かに分けられますから。それ以外の変異はないですからね。全ての変化とそれが集団に浸透する全ての方法についてもう説明は出来ているわけですよ。
 語義的に、論理的に、かなり強い説であることはお判りいただけますでしょうか?
 とか言ってそれだけで納得してもらえるとは思ってません。そこである例をお話しすることにしましょう。

 多細胞動物(だけじゃないんだけど)にはHoxと呼ばれる遺伝子群があります。「ホメオティックドメイン」と呼ばれるDNAに結合するようなタンパク質のパーツを作る情報を含む遺伝子群です。遺伝子群、と言ったようにHox遺伝子には基本的にはNo.1からNo.13くらいまでの種類があります。この遺伝子はゲノム(というか染色体上)にタンデムに(直列に)、順序良く並んでいます。しかもその順番どおりに頭から尻尾(というか口から肛門というか)までの体の軸(前後軸)を決定する鍵になっている遺伝子群なのです。
 余談ですが、このHox遺伝子群、ヒトと同じようなワンセットをショウジョウバエも持っています。ゲノム上でタンデムに並んでいるところまで同じです。ただ、ショウジョウバエではヒトとは逆になっているだけで。つまりヒトで頭−胸−腹と並んでいるとすると、ハエでは腹(ヒトでは頭を作る遺伝子)−胸−頭(ヒトでは腹を作る遺伝子)となっているわけです。でも、ハエでこのHox遺伝子の一つ、Pax6と呼ばれる目を作る遺伝子が壊れちゃった突然変異系統がいるのですが、そいつにヒトのPax6遺伝子を組み込んでやるとなんと目が復活したりします。こういう前提を踏まえ、ヒトを知るにはショウジョウバエから(なにせ遺伝学的知識や遺伝学的実験手法の蓄積に関してはショウジョウバエほど優秀な実験動物はいませんからね。しかも低コストだし)、とハエを研究している学者も多くいます。Hox遺伝子に代表されるようにハエとヒトと基本的な体制は同じですから。無論異なる部分も多くあって、それはそれで有意義な知見を人類に与えてくれてはいますが、多細胞動物はたかが1界、共通の祖先から進化してきた連中なだけに根っこのところは同じなんですよ(原腸陥入あたりなんて、そっくりだし)。そんなエピソードを知ってなお、昆虫は宇宙から来た説に与しますか?
 閑話休題。前後軸を作る上では非常に多くの遺伝子が協調的に働くのですが、その際どの遺伝子の発現(遺伝子がコードするタンパク質の合成を行うこと、その機能を発揮すること)をオンにしてどの遺伝子の発現をオフにするかを決める、一番大本のスイッチ(ブレーカーみたいなものでしょうか)になるのがHox遺伝子群なのです(DNAに結合してオン−オフの制御を行っていると考えられています)。
 このHox遺伝子に突然変異が起こるとどうなるか。流石にヒトではそんな突然変異体は知られていませんが、ショウジョウバエでは胸部の体節がいきなり倍加してしまったり(通常1対2枚ある飛行のための翅が2対4枚あるので、かなりインパクトのある姿をしています)、あるいは頭にある触覚(匂いを感じるための器官。眼と眼の間にあります)が肢(通常は胸のところにあります)に変わってしまったり、といった突然変異体が知られています。マウスでは肢が短くなったりする変異系統が得られています。

 たった1つの遺伝子に突然変異が起こるだけで、こんな大きな変化が起こることもあるのです。ましてや我々が相手にしているのは数百万とか下手すると数億年のオーダー、その間には幾つの突然変異が期待できるのでしょうか(基本的には種が分岐してからの時間×突然変異率×ゲノムサイズでゲノムあたりの突然変異数が計算できます。基本的にはと書いたのはこの計算が成り立つのは集団サイズが一定の場合のみだからです。そして自然の集団サイズは一定ではない場合も多々あるのです)。
 勿論、体制が完璧に出来てしまったヒトやマウスやショウジョウバエではこのような突然変異はその殆ど全てが生存に不利なものになってしまうでしょう(ただしヒトとその他の類人猿の間に見られる腕の長さの差というのはHox遺伝子の突然変異で説明できるのでは、と考えているグループもあります)。しかしまだ多細胞動物の体制が整わない先カンブリア時代だったらどうでしょうか(このHox遺伝子はその頃から動物は持っていたようです)。他の部分がきっちり決まっているからこそそのバランスが崩れて生存に不利になる変異も、他の部分もまだ決まっていない環境では生存に不利でも有利でもない可能性が高いです−−つまり中立ということです。こうしてあの多様性が地質学的には短期間に、だが必要な突然変異の数が蓄積するには十分な時間と十分な個体数が存在しており、カンブリアの大爆発が起きた、とそう説明することは可能です(無論それだけでは説明できないと言う人もいるでしょう、しかしそれで十分だった可能性もあります。現在の研究精度ではいずれとも確認されていませんが、とまれ突然変異&自然選択&中立説で説明は可能なのです)。

 まぁ進化の話で説明できるといっても何の意味もありませんけどね。科学で重要なのは検証ですから、説明だけでは不十分です。こればかりは今後の進化学(とくに分子進化学のデータ)・遺伝学&発生学の知見が蓄積されないことにはこのギャップは埋まりませんので。
 とはいえ上記の説明に幾許かでも科学的な匂いがするなら、それは既に正しいと確認されている仮説だけで説明している、その一点につきます。

 ということで従来の課程で教えられていた高校生物の進化は、適切な先生が適切に指導しさえすれば(そしてそれはどの教科でも同じことなのですが適切でない先生が適切でなく指導したら、そりゃどうしようもないでしょう)、必要にして十分とは言いがたいものですが(個人的に中立説キボンヌ)、基礎を作るに最適ではないまでも適切な部分を教えていたと思います。やや生物学史的なことに偏りがちな気もするのですが、まぁ時代背景も含めて教えていると思えばそういうものなのでしょう。

(それなら基本中の基本だけ教えて他は割愛、というのもうなずけるんですが)ここは俺の認識が甘いかもしれません。

 ということで納得していただけましたでしょうか。
 なお、ぶっちゃけた話、総統の日記を読む限りでは総統の高校生物の教師は少なくとも進化に関して適切な指導を欠いていたように見受けられます。それは非常に不運だったとしか言いようがありません。

 ということでイリーガル・エイリアンと進化の話は後日。つってもネタバレになるんですが、どうしましょう? 今はソース埋没法使えないし。むう。



03/01/18

 総統日記13日分への返答、もう第何回目なんだか。阪神淡路大震災の話やセンター試験の話は他の方がされているからいいとして、そーいえばSFM考課表つけようと思っていたのが今年も駄目になりそうなのが一番の影響かも。
 ちゅーかオレ自身何をしたいんだかわからなくなってくるし。最初は総統の意見を「それも尤もなような気がするなぁ、でもほんとのところはどうなんだろ」と思うような人ターゲットに書いてた記憶があるんですが、もうその辺は越えてしまったような気がするし、コンコルドの誤算に陥りつつあるような気もするんですが、ま、いっか。

今西進化論については進化のメカニズムを説明することを放棄してるのでそこが「サイエンス」としては失格なんでしょうが、考え方からすると「自然」に思えると正直に云っただけです。少なくとも同じようにサイエンスしていない創造論よりは説得力があるし。それに近い考えをしている俺自身を「とんでも」と自覚しているわけなのであまり目くじらたてることはないのでは?

 いや、目くじらたてたつもりは。私、バカの癖に声だけでかい連中がのさばってるの、嫌いなんです。今西進化論信奉者にはそういう人たちがいましてねぇ、気にくわないだけなんですよ。ってゆーか大体科学じゃねえのに科学のふりして書店で進化論のコーナーに何食わぬ顔で収まっているのも嫌いだし。
 そう、進化は科学なんです。科学とは、限界のある学問です。
 逆の言い方をしましょう。科学とは反証可能性を武器に論理体型を築いてきた学問です。反証不可能な命題を切り捨てることで、検証可能な命題だけでこの世界を理解可能なレベルにまで還元してゆく学問です。だからこそ成功したのです。
 私は科学である進化の議論の土俵に上がるなら、科学でなければ駄目だ。今西進化論は科学ではない。よって進化の議論にあげる余地はない。と主張しているだけです。別に総統に目くじら立てているわけでは全くないです。
 以上。
 ……で終わると総統は納得しないと思うので。反証不能・メカニズムの説明をしなくていいのなら、なんだって言えます。例えばオレ仮説として「この宇宙はオレが昨日作った」と主張してもよくなります。「え? 一昨日の日記があるって? そんなもの、昨日キミ作ったときに胃の中の食べ物や腸の中の大便や臍なんかと一緒にオレが作ったに決まってるじゃないか」と言われると反証も出来ません。一昨日に宇宙があった証拠は山のようにあるけど、昨日作ったときにそれ以前から宇宙が存在している記録ごと作ったんだと言われると反証不可能です。今西進化論はこのオレ仮説と同じレベルのものなんです。このレベルの仮説でいいならいくらでも出てきますよね。「いや実は神様が創ったんだ」「宇宙人が」、全部同じことです。科学じゃありません。だから議論のしようもありません。科学のふりをしたいなら、せめて反証可能な仮説を立ててください。検証可能な予言をしてください。他の人に対する説得力はともかく、科学では創造論も今西進化論もサイエンスではない、その一言で全く説得力を持たないんです(だから信じるのは勝手ですが、何を信じようと信じまいと日本では自由ですからね、ただにくざがの神を信じなさいといわれても信じる人は少ないだけで)。
 という話はグールドもドーキンスも口がすっぱくなるほど書いていたと思うんだがなぁ。つかブラインドウォッチメイカー、お願いだから読んでください総統。オレの言いたいことの500%があの本に入ってますんで。
 そもそも今西が主張する「種はかわるべきときにかわる」「その例がすみわけだ」もまた、例の3セットで説明可能なんです。カゲロウ(ですよね? 川ですみ分けているやつです)の例でいきましょうか。川の流れが遅いところと速いところがある、遅いところではエネルギー消費が小さく抑えられるが早いところではエネルギー消費が大きくなる(環境)。カゲロウ祖先種が実際にはどういう環境にいたのか判らないのですが、川の流れの遅いところに住んでいたとしましょう。その時点で偶々カゲロウと競合するような種(同一のえさを食べるなど、同一の環境資源を使う種)がいなかった場合(こういうのを生態学的地位が空いている、といいます)、カゲロウの1個体か1夫婦か1集団が競争に負けたとか縄張りから追い出されたとかの理由で川の流れが速いところへ行ったら、川の流れの遅いところで他のカゲロウ個体と競争しつつ餌を集めるのより、川の流れが速い(ので流れに逆らって泳ぎ続けないといけない)とはいえ、競争せずに簡単に餌を採ることが出来るので、そこで住み続ける、という状態になります。川の流れが緩やかなところに(なわばり作ってんだか競争に勝ったんだかは判りませんが)いるカゲロウ祖先種集団はそのまま生活を続けるでしょう。川の流れが急なところに移住したカゲロウ祖先種集団は、緩やかなところに戻ろうとすると元の集団と競争しなくてはいけませんから、戻らなかったとします。つまり互いの集団の間に行き来がなくなったと考えます(実際には行き来がなくならなくても、集団内での交雑頻度に比べて集団間の交雑頻度が十分に低くなればよい)。この状態でいずれか一方(実際には集団サイズが小さい新しい環境へ移住していった方、この場合では川の流れが急なところに移住した集団、しかも集団サイズが変動中だとなお良い)に中立な突然変異が起こり、それが集団中に広まったりします(そしてお互いの集団の間では異なる中立な変異が蓄積されてゆきます。一つ一つは小さい変異なのですが、蓄積されることで長い時間、しかし地質学的には一瞬ともいえる時間がたてば大きく隔たっていることは十分にありえます)。或いは川の流れの緩やかなところでは不利だった形質(例えば大きいひれは競争のときに攻撃対象になるので不利だった、とか)が新しい環境では有利になった(泳ぐスピードが上がるので大きいひれは有利)りした場合、そういう形質を持つような突然変異が起これば瞬く間に自然選択によって集団に固定(集団内におけるその変異遺伝子の比率が100%になること)します。これも一つ一つは小さいことかもしれませんが(以下略)。そうして一旦生殖隔離(ようするにこの二つの集団中の任意の個体を掛け合わせても子孫が出来ない、或いは子孫の生殖能力が低下するなど)が出来てしまえば、それは普通別種として定義されます。これが種分化です。進化が起きたのです。
 勿論、上記のような説明は科学的とは言い難いかもしれません。然しながら分岐した年代と、蓄積された突然変異の数(は中立説から予測できます)、それに働いた自然選択の強さ(直接の計測は出来ませんが、有利な突然変異が起こった場合セレクティブスウィープと呼ばれる現象がおきます。十分なサンプル数を調べればこの痕跡は統計的に有意に見出すことが出来ます)などを、上記カゲロウの両集団(というより両種ですね)からサンプリングした個体のDNA配列を調べることで、中立仮説と自然選択仮説に則っているかどうかを検証できます。検証した上で有意に違っているという結果が出れば、進化学者は考え直すでしょう。しかしいまはまだ(この架空のカゲロウ集団については)調べられていません。
 それでも、今西同様に種分化は突然変異+自然選択+中立説で説明できたのです。メカニズムもわかっており、その正しさも証明されている仮説だけで。こういう場合には取り出すべきはオッカムの剃刀です。従来の正しい仮説で説明できるうちは(検証の結果否定されない限りは)、新しい仮定など必要ないではないですか(たとえ今西進化論が科学の手法に基づいたものであったとしてもこの時点では却下されます。ましてや科学ではないのならなおさら)。ってゆーか今西進化論の本読むと、今西進化論の主張者ってば自分が否定しようとしているダーウィニズムを理解してないよーな(笑)。一昨日の味噌汁で顔洗って出直して来な、と言いたくなります。
 というあたりで少なくとも科学的文脈では今西進化論は否定されるのは納得できましたでしょうか?

 イリーガルエイリアンの話はネタバレが怖いので(内田さんのリンクからここに飛んでくる人もいるわけですし)、も少しあとで、ということで引用前後しますが

古い種が全滅して変異種だけが生き残るような都合の良い環境変化が起こるんでしょうか?古い種は変異種とは別の場所で生き残れないのでしょうか?

 先ほど述べたように、何らかの(そして恐らく多くの場合は地理的もしくは生殖的な)隔離、というのが種分化の始まりです。そして隔離された種は互いに、双方ともに、変異を蓄積してゆきます。少なくとも中立な変異に関しては時間の経過に比例して蓄積してゆきます。ここで重要なのは、「古い種」なんてないということです。あるのは、種分化前の祖先種と同じだけ隔たった二つの(分岐した)新しい種だけです。ここでは祖先種は新しい種に置き換わってますよね(無論、分岐した一方の種を便宜上祖先種と同一種とみなし、同一名で呼ぶ場合もあります。そういった場合、祖先種と同じ名前で呼ばれている方の種を古いと考えたくなるのもわかりますが、それは大いなる錯誤です)。
 そして、種の絶滅は驚くほど簡単に起きます。今この瞬間だって、絶滅している種はいます。記載もされないままに(つまり我々ヒトがその存在さえ知らないままに)絶滅している種は、どれだけいるのか皆目見当が付きません。99.999%(桁いい加減です)の種は絶滅するのです。分岐して出来てきた新しい種の多くは絶滅する、それだけのことです

例えば類人猿と人類が共存できるなら旧人がいてもいいんじゃないかと。(ここが勘違いしてるところなのかも?)

 まず第一に。おそらく類人猿は人類と共存してません。ヒト以外の類人猿(チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン、テナガザル数種)は全て絶滅寸前の状態です。特にゴリラやチンパンジーなどは亜種レベルで見ればもう既に野生の個体数が種を維持するのに必要な数いるかどうかさえ怪しいグループもあるようで(というのは政情不安定な土地にどれだけの個体数が生存しているのか実態調査さえままならない状態だからです)、まだチンパンジーのほうはヒトの飼育下で繁殖し個体群を維持できていますが(日本にも300匹のチンパンジーがいます)、ゴリラのほうは人工繁殖も難しく、世界中の動物園や飼育施設にいる数を数えたところで……。オランウータンやテナガザルたちはその2種に比べればまだましですが、生息域である熱帯多雨林を奪われ生息域が狭まりつつあるのは事実です。テナガザルも全体の個体数は多いけど、種別に分けてみるとため息付きたくなるような数だし。そこまで追い込んだのは、ヒトの繁栄による生息環境の激変が大きな要因を占めているでしょう。これで共栄? は? 片腹痛いわ、ってなもんです。
 次に。ヒト以外の類人猿は皆熱帯多雨林のそれも木の上(地上=林床ではなく)に適応しています。ヒトは森林ではなくより開けた環境(草原とか)に住んでいます。お互い住んでいる場所が違うのです(生態的地位が異なる)。旧人は現存の人と同じような生息域・同じような環境資源を使ってますよね(生態的地位が同じ)? 当然より熾烈な競争が起こるのは眼に見えてます。だからこんな結果が生まれたのではないでしょうか。
自然淘汰で旧人が滅びる理由を説明できるんでしょうか?

 道具の使用・火の使用・あるいは集団による狩りなどによる食糧増産→人口増加など、直接遺伝子が支配している形質ではありませんが、これらを拡張された表現系として捉えれば十分自然選択(淘汰)によって(競争の結果)旧人が絶滅したのは説明できますね。
中立的突然変異によって旧人が全部人類にシフトした、とすれば成り立つのか?

 ということでこれは成り立ちません。

 今宵はここまで。また明日。



03/01/19

 えー「タイピング流星拳」で検索して来られた皆様、大変申し訳ありませんが当該記事は多量のごみの下に埋もれています。とりあえずがんがん下へスクロールするか、タイピング流星拳で検索してみてください。……いや、本来うちのサイトは聖闘士星矢ハーデス編の話題とか、先だって文庫化されたB'tXの話とか、リンかけ2ってどうよ、ってな話題がメインのサイトのはずなのですが、ちょっとばかりバランスが狂っているようです。まーファン交の話とかは他の方々に任せておいて、進化の話。
 とりあえず分水嶺は越えたような気がしますので、頑張ります。

両生類から爬虫類へのいわゆる「大進化」とサラブレッドを作るみたいなのは別に考えた方がいいと思うんですが、やはり「大進化」も「突然変異」と「自然淘汰」で起こったんでしょうか?

 両生類→爬虫類って、せいぜい羊膜が出来た位じゃないですか(体内受精は進化の過程で何度も起こっている事象なので無視<おい)。確かに骨格の変化とか皮膚が頑丈になったとかも変わってますけど、一番大事なのは羊膜(卵を包んでいる皮。卵を乾燥から護ることが出来る。これによって全生涯を陸上で過ごすことが出来るようになった)。その位なら(そう大してでかい進化でもないし、複雑なメカニズムとかも不要でしょうから)自然選択(淘汰)と中立説で十分説明可能でしょう。グールドら(主に形態の人)が主張しているのは、例えば生物のバリエーションというのは比較的短期に出揃い、それ以降は大きな変化はない様に見える(例・先カンブリアの爆発でほぼ全ての多細胞動物の門が出揃ってそれ以降新しい門は出てきていない。例2・約一億年ほど前に哺乳類の全ての目は出揃っていたが、それは実際の適応放散が起きた6000万年前ではないし、それ以降新しい目はあまり出てきていない)、という進化のパターンは、進化速度一定の中立説では上手く説明できないだろうという主張です。
 というように、所謂「大進化」には今のところ知られていない、第三のメカニズムが必要だと考える人たちもいます。然しながら主に分子の人は、そんなことはなく、大進化も自然選択(淘汰)と中立説で十分説明できると主張します。どちらが正しいかはまだ定まっていません。
 というあたりをドーキンスvsグールドで読むととても楽しいです。えっと、グールド誘いうけで(以下略)。
 とはいえ繰り返しになりますが、もしグールドが主張するように大進化が自然選択&中立説で説明できなかったとしても、それはその二つを否定しません。高校数学でやるところの必要条件と十分条件ですね。進化の原動力=自然選択&中立説ではなく、進化の原動力に自然選択&中立説が包含されているという関係になるだけで、否定にはなりません
「代」の変わり目では環境激変してダーウィン的進化がんがん発生、といいますが、もし環境という必然に迫られて大進化が起きたならやはり動物はほ乳類だけ、植物は被子植物だけ、になりそうな気がするんですが。うーん、待て待て、ほ乳類に進化しないと死んでしまうような環境でなければ「だけ」にはならんのか。

 ええと。環境が激変するとそのとき棲んでいた生物の大半が絶滅します(古生代末なんて属のレベルでさえ95%の生物が絶滅したそうです。種のレベルでは大半どころか殆ど全て絶滅してますね)。生き残った少数の種・少数の個体の目の前には空白の生態的地位が広がっています。
 通常、成熟した生態系には空白の生態的地位は空いていません。先だって今西すみわけ理論のところで解説したときに、川の流れが速いほうへ移住した際行った先に競争相手がいないという仮定にしましたが、そういうことはそれほど頻繁には起こらないのです。しかし環境が激変したとき、つまり生物の絶滅が起きたときにはそこここに生態的地位の空白が生まれるわけです。チャンスです。生態的地位が空いていれば、集団は分岐してそこに住み着くようになります(生物の個体数は環境が許す限りにおいて増加を続けるので、つまり空白の環境があればそこを埋めるのに十分な個体が生き残った僅かな個体から生じるのです)。しかも環境は激変しているわけですから、今までとは異なる自然選択圧のもとにおかれるわけです。
 この状況で生物が急速に個体数・そして種数を増し、新たな環境に適応したさまざまな種を生み出すことを適応放散と呼びます(改定前の高校教科書にも載っている話です)。つまり空白の生態的地位があると、速やかな適応放散(は進化の一種)が起こる、ということになります。
 で、実は空白の生態的地位って、なにも環境の激変→生物の絶滅だけで生じるものではないんですよね。例えば火山が噴火して溶岩が大地を埋めてしまった結果できた溶岩台地(裸地)、あれも空白の生態的地位の塊ですよね。ただ旧来の土地と地続きの場合には、旧来の土地に生きている集団と隔離されるかどうか謎なので(進化の第一歩、大事なのは集団の隔離です)、理想的なのは他の土地から隔絶された、例えば絶海の孤島が新たに出現した場合など最高ですよね。で、そういう例って、ありますよね。例えばハワイ諸島。またまたショウジョウバエの話で申し訳ないのですが、ショウジョウバエはどうもハワイ諸島の形成とほぼ時を同じくして(といっても進化的年代なので注意を)進入したようなのです。多分偏西風にとばされたか何かして(ショウジョウバエのメスは一度交尾するとその精子を体内に蓄えておいて、有精卵を生み続けることが出来ます。その数、100〜1000個程度。つまり1個体のメスから新たな集団が形作られることは十分に可能なのです)。
 その後、ハワイ産ショウジョウバエは非常に多種多様に適応放散して現在に至っています。なんと体長数センチ、翅に派手な模様のある種もいます(もはやあいつらがショウジョウバエだとは、形態からは想像も付きません。が、遺伝子を調べると確かにショウジョウバエなのです)。ピクチャー・ウィングド・フライなどと呼ばれてますが、確かに派手です。しかも種数2000とも言われています。
 ハワイなどの海洋性火山列島ではそういった適応放散が行われ、結果その土地にしかいない固有種がたくさん棲んでいます。海洋性火山列島、そう日本もまた固有種の多い土地ですね。ニホンザル(霊長目旧世界猿の仲間・マカク属の一種)なんてその最たるものではありませんか(ちなみに屋久島にいるのはヤクザルと呼ばれ、ニホンザルの一亜種として記載されています)。証拠は実は目の前にあったのですよ。
昔、「シム・アース」(あれって進化シミュレーションだと思うんで)をやってたときはどんな風だったかなぁ?

 シムアースはやったことがないので判りません。

 ということで今西進化論の説明のところで大ポカをしていたのをこっそり訂正してます。くはー読み直してないのがバレバレだー(^^;;)。一応言い訳しておくと、少なくとも一度は文庫本をちゃんと読んだ上で批判してます。流石に原著論文までは読んでないけどさー。
 続きはまた明日。



03/01/20

 ハーデス編CD入手しそこねています。ってゆーかDVDプレイヤー(別名iMac。メインマシンである)を直す気力がわいてこないのは、ハーデス編を見たくないからなのかも。おあつらえ向きにビデオデッキも壊れている(時々テープを食う)し、このままだと合法的に買ったけど見れない、って環境になるなぁ。こういうのを遁走って言うんでしたっけ?
 とまれメインマシン壊れたまんまなので、日記が堆積して凄いことになってます。……とほほ、200kb超えそうだよう(まで書いたときは196kbだったのがアップロード時点では206kbです、すまぬナローバンダーの皆様)。余談ですが、私はkbと書いてあるとつい癖で「キロベース(ペア)」と読んでしまいます。勿論15Gbは15ギガベースです(10bpが確か4オングストロームくらいなので、このハードディスクの長さはどれだけあるんでしょうか)。余談ですがヒト細胞1個当たりのDNAの長さというのは約2mだそうです。ヒト一人分のDNAを全部繋ぎ合わせると、確か冥王星軌道に達するそうです。
 ということで進化の話。

あと、実はのださんも避けてましたが、獲得形質の遺伝についてちょっとわからなくなってたりします。

 一応避けたつもりはないんですけどね。余り述べるべきことがないだけで。
獲得形質の遺伝が、全ての生物種の全ての進化の過程で一回も起きなかったと主張している人もいないでしょう。ただ獲得形質の遺伝を仮定せずとも多くの場合(特に多細胞生物では)説明可能である、あるいは獲得形質の遺伝を可能にするメカニズムが(通常の遺伝子による遺伝より明らかに)貧弱であるから寄与は少ないだろうとかというだけで。
 ラマルクの例は否定されているけど、今なお何らかの形で獲得形質が遺伝するメカニズムがあるのでは、という研究だって(ほかならぬ進化学者の手で)なされていますし。(拙日記01/06)

 だけでは駄目ですかそうですか。
 生物の形質を決定している因子の事を、日本語では遺伝子と呼びます(英語ではgene、中国語では基因子)。逆に言えば遺伝子によって決定されている、生物の特徴のことを形質と呼びます。
 生物の特徴の全てが遺伝子によって決定されるわけではありません。ショウジョウバエの成虫の体の大きさは約2mm〜3mmですが、これはその個体が育ってきた栄養状態によって大きくばらつきます。同じサイズの餌の瓶(飼育瓶、大体直径2センチ高さ10センチの円柱状<底に1センチくらいの餌=酵母菌を入れておく)に100個の卵をおいて育てた場合と1000個の卵をおいた場合と10000個の卵をおいた場合、後者ほど体が小さくなる傾向が見られます(ほんと、半分くらいのサイズになってしまうんですよ)。
 こういう、後天的な環境によって決定される生物の特徴のばらつきのことを環境変異といって、遺伝的に決定される形質と区別します。何故なら通常環境変異は遺伝しないからです。遺伝しない形質は、後代に受け継がれることはありませんし、数代(数十代数百代……)にわたる自然選択を受けることもありません。
 ただし、生物の特徴の多くは厳密に環境変異だけで決定されるわけではありません。人間の身長などは良い例だと思いますが、環境要因も身長の変異には影響を与えますが、遺伝的な影響も大きいと考えられています(この遺伝因子と環境因子のどちらが影響を与えるかの解析には異なる環境で育てられた一卵性双生児と二卵性双生児のデータを利用すると、かなり綺麗に解析できます)。こういう場合、見た目では獲得形質が遺伝しているように見えても、実は遺伝因子が遺伝しているだけ、という可能性も高いです。
 現在、可能性がある獲得形質のメカニズムとしては、母系細胞質因子によるものが考えられています。多細胞動物の発生には、卵の中に物質の濃度勾配や局在が存在することが重要です(例えばウニ卵の植物極側にある物質は16細胞期には小割球を形成し後期胞胚期には肥厚し原腸陥入を促進させ、卵割腔に進入して第1次間充織として胚葉の分化に大きな役割を果す、トリガーとなります。この部分を取り除いたり、もしくは物質を無効化した胚は永久胞胚となって正常に発生しません)。この物質の濃度勾配や局在のパターンは卵が形成されるときに存在しています。そしてその濃度や局在の仕方が変われば発生のパターンは変化しうるのです。発生というのは受精卵から細胞がさまざまに分化し個体を作ってゆく過程ですから、そこに変化が起きればたとい遺伝子が変化せずとも子に影響が与えられるということになります。また発生初期の遺伝子の発現のオン−オフを制御しているのも同じように母系の細胞質因子ですので、それらが変化することでも同様に子に変化が起こりえます。
 しかし、この変化がさらに次世代の卵形成にも同様の影響を及ぼし、子々孫々に受け継がれうるかというと疑問が残ります。またその卵形成時の物質合成も遺伝子によって支配されているのです。結局は遺伝子が変化(DNAの突然変異)しないと、ということになりかねません。それよりなにより、上記に述べたようなメカニズムでは、古典的な「キリンが高いところの草を食べようとして首を伸ばした、らそのキリンの首が伸びた。生まれてきた子キリンの首は最初から少し長かった」という現象は、畢竟説明し得ないことが最大の欠点となります。
 上記につらつら述べてきたのはあくまで多細胞動物の話です。原核生物の中にはそういった母系(いや、分裂で増えている最中の原核生物に母系があるかどうかは別として)細胞質因子による遺伝子のオン−オフが世代を超えて(複数回の分裂を経ても)保存されているということ、つまりは獲得形質の遺伝が存在する可能性を示唆する実験結果が得られている、という話もあります。これがもし正しければ、獲得形質の遺伝がゼロではない、ということになります。ただし獲得形質の遺伝による進化への寄与がどの程度かはまだまだ判りませんが。

形態とかがどうやって変化して固定するのかが謎なんですが。

 その形態を支配している遺伝子に突然変異が起こる→自然選択圧(突然変異が生存に有利な場合)または偶然(突然変異が生存に有利でも不利でもない場合)によって集団内での遺伝子頻度が増加し、100%になる→固定。
人間も縄文時代と現代とじゃ形だけでいえば随分変わってるはずですよね、短期間なのに。

 縄文時代という単語が出ている音から日本人集団に限定すると、まず第一に縄文時代に日本に住んでいたヒト集団の子孫が現代の日本人集団を形成しているわけではありません。その後(弥生時代〜)に大陸から流入した集団と交雑しているので、異なる集団のもつ異なる遺伝子(や異なる遺伝子頻度)と合わさってしまってます。そのせいも大きいでしょう(アイヌや琉球の人たちが縄文時代から日本列島に住んでいた先住民族の特徴を色濃く残しており、中央日本の集団は弥生時代に移入してきた集団の特徴を多く残しているといわれています)。
 第二に、これは全世界的に言えることだと思いますが環境が違います。計画的に手に入る食料がある(農耕文明)というだけで違うでしょう。日本人の平均身長はこの100年間(3世代くらい)でかなり伸びてますが、これは遺伝子に変化が起きた進化じゃなくて単なる環境変異でしょう。それ以前のような食生活や住環境にもどれば、きっと元通りになることでしょう。それでは進化とはいえますまい。
 あとまぁヒトはヒトを見分けるのに優れているのでヒトの細かな違いに拘泥しているだけ(ヒト至上主義=ヒトショーヴィニズムに陥っているだけ)、という可能性もありです。

 あとヒトの盲腸ですが、これはセルロース分解で説明可能です。
 植物の有機物は殆どセルロース(細胞壁の構成物質)という形で保存されています。例外は果実や種子など一部の部分だけです。セルロースを分解するにはセルラーゼという特殊な酵素が必要(基本的に一つの酵素は一つの反応を触媒する)なのですが、実は多細胞動物はこの酵素を持っていません。葉や茎の部分を食べている動物が、それを栄養として取り込むには、他のセルラーゼを持っている生物に分解してもらう必要があります。そのほかの生物(基本的には腸内細菌)の住処になっているのが盲腸なのです。
 ヒトの祖先種は草食だったのでしょう。それゆえに長い発達した盲腸(セルロースを分解する細菌の住処)を持っていたと考えられます。しかし樹上生活に適応した際にヒトの祖先種は木の実や果実などを主に食べるようになったのでしょう。それらには豊富にデンプンや果糖、タンパク質といったよりエネルギー効率の良い有機物が含まれています。時期やなる樹木が限られる(ために広い森林の中でいつ・どこで餌が取れるかを把握するために頭脳が発達した可能性が高いのですが)ものの、葉や茎(いつでもどこでも手に入る)よりはずっと高効率、少量(短時間の摂食)でエネルギーを得ることが出来る餌です。
 この新たな餌に適応した結果、セルラーゼを持つ腸内細菌との共生関係も終わりました。しかし盲腸はまだ残っていて、たまに雑菌が繁殖して炎症を起こす厄介者と成り果てているわけです。
 もし神様がヒトをデザインしたのだとしたら(or宇宙人が遺伝子操作でヒトを作ったのだとしたら)、どうしてこんないらないものをくっつけておいたのでしょうかね。
 個人的には胃下垂になる腹腔というのも如何なものかと思います。明らかに垂直方向にかかる力に対して臓器を支える構造がない腹腔を直立二足歩行する生物のためにデザインしたのだとしたら、そいつはオオボケ野郎でしょう。ああ、直立二足歩行の結果それらの臓器を一手に引き受けるために狭まった骨盤の間を抜ける産道のデザインも、やり直しを要求します(笑)! せめてアネカワンの産道を!

ちなみに昆虫はどこかで見た「別の星からやってきた説」を採用してます(苦笑)。でも生態系になじんでるからちょっと無理があるか、とか思ってますけど。

 生態系どころか、昆虫綱は節足動物の他の綱はおろか多細胞動物全体の系統関係の中に完全に綺麗に美しく(クモ綱とか多足綱とかの陸上節足動物や海産節足動物の綱ともきちんとした類縁関係がある。それはもう遺伝的にも形態的にも)入っているので、それはないでしょう。

 というようなあたりで総統日記13日付けの主な質問には大体答えを書いたと思うんですが、

くどいようですが、キリンやワニや人間がなぜ今の形態になっているのかが「突然変異」と「自然淘汰」では納得がいかんのです。

 は「どうやって」そうなったかは説明可能だけど「何故」は説明できない、というのを理解していただけましたでしょうか。だってその場しのぎの最適者生存(自然選択)に最幸運者生存(中立説)なんだもん。

 最後に「進化論」の最大の意義は、「ヒトは特別な存在じゃないよ」という見方を与えてくれることだと思います。地動説が「地球は宇宙の真ん中の特別なところじゃなかったんだ」とコペルニクス的転回を与えたように、ヒトは三つある超生物界の一つ真核生物超生物界の中の、多分〜10くらいある界の一つである動物界の中の、大体20くらいある門の中の脊索動物門の中の、脊椎動物亜門の中の、5つある綱の一つ哺乳綱の中の霊長目ヒト科ヒト上科ホモ属サピエンス種サピエンス亜種に過ぎないんだ(しかもヒト上科の他の種は殆ど滅亡寸前)、ということは、ついヒト至上主義的な見方(ヒトショーヴィニズム)に陥りがちな視点を相対化してくれます。
 でもって、私にとってSFというのはこの相対化された視点を与えてくれる作品であるのです。現実の私・ヒト・人類にとらわれない物の見方の片鱗というのを味あわせてくれるSF、それが私にとってのSFなのです。
 SFを愛好する人には多かれ少なかれこの「相対化された視点」からの物の見方を楽しむ姿勢があると信じています(……ひねくれたものの見方、とも言うなぁ……)。そういう意味では進化論的な立場から物事を見てみるのは、「たかが一種ほろびるだけじゃん」とかね、とても楽しいことだと思うのです(少なくともSFファンにとっては)。
 ということで、忌避せずに、是非、進化論と戯れて欲しいな、と思います。そうすることで、世界の見え方が変わってくるはず。海底の土一平方メートルあたりに新種(未記載)の線虫が何種類いるでしょう、とかね。そんな数字を見てしまうとよしんば神様が生命を作ったのだとしても、とてもヒトを中心に作ったとは思えなくなってしまうのですよ。

 教育と進化論の話はまた明日。





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